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平成15年

2004年水木プロ始動

2004年の水木プロは1月5日から。年末年始は船旅でゆっくりとリラックスしてきた水木、
(メキシコ旅行は取りやめで、船旅になりました)2004年も水木らしくのんびりムードで
始まった。水木自身はのんびりでも、4月からの「OH!水木しげる展」の準備で、周囲は
なにやら騒がしい年明けである。本年もよろしくお願い申し上げます。

新好物 皿うどん

本日の水木は、スタッフが買い置きしていた冷凍「皿うどん」を本日の昼食とした。
食後「これはどこに売ってるの?」の発言にスタッフの注意が向けられた瞬間、
「1ダース」
その言葉は放たれた。それから10分後、水木プロの冷凍庫は「皿うどん」
で埋め尽くされたのであった。
もともと麺類好きで知られる水木だが、今までの「ゾロゾロー」系と併せて「ポリンポリン」系
の揚げ麺も好きだという事がこの度判明。水木の好物にまた新たな1ページが加わった。

鬼太郎茶屋で荒俣宏氏と楽しいひととき

1月下旬、水木は4月に発売されるDVD企画の撮影のため、鬼太郎茶屋で荒俣宏氏と
対談した。寒い中こたつをしつらえ、4時間半に及ぶ長時間。
見ている者は寒い中立ちっぱなしで辛いものもあったが、驚いたことに荒俣氏と水木は、
全然疲れていない!
終わった後荒俣氏は「いやー、楽しかった!4時間半?え、そんな時間経ってたの?
もっとしゃべりたいくらいだったですよ。」なんておっしゃる。水木も同様。
数日後、神保町の喫茶店で対談第2弾が行われたが、ここでも「制御不能のおしゃべり大会」
が展開されていた。
二人の気の合いようはすごい!と改めて実感した時間であった。

孫にせがまれ・・・
3月5日

水木の孫はもうすぐ2歳になる。片言でしゃべるようになり、「じったん、じったん」となついて、水木はとても可愛がっている。
今日は孫にせがまれて絵を描いた。「ライオン!ライオン!」と言われてライオンも描いた。
孫の前では、水木もフツーのオジイサンである。

水木しげる記念館
開館1周年セレモニーに出席
3月10日

3月7日、水木は1年ぶりに故郷、境港を訪れた。この日は「がいな(当地の方言ですごい、大きい)」大雪。
しかしそんな天候をものともせず、水木は久しぶりの境港を楽しんだ。
去年の記念館オープニングの折りには、ゆっくり中をみられなかった水木、この日は閉館後ゆっくりと中を見て回り、改めて喜んでいた。
セレモニーでは、大きな壁画?(右下)も描くなど、とても楽しい様子だった。

「ポークショッ」の由来わかる

平成15年7月某日
水木を交えて、スタッフ一同でお茶を飲んでいた時のこと、「ポークショッ」という
水木マンガにでてくるせりふが話題になった。
あれはいったい何?と水木に問うたところ、
「あれはエゲだ」との返事。
エゲとは、水木の2つ上で、同じ小学校に通う子供だったらしい。
エゲは、時々「ポークショッ」と囁くように言う。
その意味はエゲにしか分からないが、それがおかしくて緊張した雰囲気の時も
思わずみんな笑い出してしまうのだそうだ。
思わぬところで由来がわかったのだった・・・。

※ **「ポークショッ」とは・・・・
  河童千一夜の「梅林の宴」や「花町ケンカ大将」などにでてくる言葉。
  「花町ケンカ大将」では、この言葉は「相手の戦意を喪失させるために
  使う言葉」と注釈が付いている。

水木しげるイタリア行き

平成15年8月28日~9月5日
水木夫妻は、荒俣宏夫妻と共にイタリアにプライベート旅行。とても楽しい旅だったそうで、
水木は生き生きとした表情になり、若返った様子である。

新しいラジカセを購入

平成15年9月24日、水木は新しいラジカセを購入した。
水木は、数年前まではよく音楽(ビートのきいた腹に響く音が好み) を聞いていたが、最近はさっぱり。
老化予防にもなる、と一念発起!
近所のラオックスで「漢字表記(戻る、再生など)」のわかりやすい ラジカセを購入したのだった。
設置して初めて聴いた曲は、境港の「鬼太郎音頭」だった。

右下の銀色のものが、新しいラジカセだ!

久々に、筆を使っての仕事

平成15年10月1日。
水木は筆を使っての画がすばらしい。
今日は、久しぶりに筆を使っての仕事をした。
筆を自由自在に操り、どんどん画ができあがっていく様は、
見るものを魅了する。水木の画の世界に吸い込まれていくようだ。

千曲川ハイウェイミュージアムへ
(長野県小布施市)

平成15年10月10日~11日
水木は、水木プロスタッフ数名と共に「水木しげるの妖怪博物館」が開かれている
千曲川ハイウェイミュージアムへと赴いた。
国内の旅は久しぶりだった水木、長野県の発展ぶりに目を見張っていた。
「今は、日本のどこへ行っても東京と同じだな」と。
古き良き日本の風景、その土地らしさというのが失われていくことには、
ちょっと寂しげ。

トイレに張り紙

平成15年10月
水木プロのトイレに突如、張り紙出現!
「物をふやしたらイカン 水木プロ鉄則」(BY水木しげる)
水木はこの頃、増えた物で部屋が占領されるのが気になっている。
自宅にも「物を買いすぎるな」との張り紙が。
大好物の大福を食べながら「買いすぎちゃいかんのだ!」と力説。

「珍宝柿(ちんぽうがき)?」出現!

水木の自宅にある柿の木にたくさんの実がなったので収穫したところ、中に「珍宝柿」(水木プロ命名)が!
「似とるなぁ」「おもしろいな」と水木も珍しがっている。
柿の実をとるのが面倒だったのだが、ほおって置かなくて良かった・・・。「たんころりん※」ならぬ
「ちんころりん」になるところだったと、水木プロ内でも大受け。
※たんころりん・・・柿の実をとらずにほおっておくと、その実が
「たんころりん」に化けるといわれる。

↑たんころりん

泉屋のクッキー

水木は、根っからの和菓子(餅+あんこ)党だが、なぜか泉屋のクッキーだけは別らしい。
30年以上前から「日本で一番うまいクッキーだ」と絶賛。
先日、来客から泉屋のクッキーをいただいた。
早速缶を開けた水木は、中でも好物の「ラスク」に手を伸ばした。

泉屋のクッキーは、何十年も変わらない味とパッケージ。
水木も安心して食べられるらしい。

隠岐へ取材旅行

平成15年12月3~5日、水木は 島根県 隠岐に取材旅行。
妖怪が今でもたくさん住んでいそうな雰囲気をとても楽しみ、また心癒されたようであった。
隠岐の人たちが歓待してくれたのも喜んでいた。(ありがとうございました)
平成16年

風邪がはやる水木プロ
1月19日

ノロウイルスやらインフルエンザやら世の中物騒だが、水木プロでも風邪が流行りだしてきた。
先日スタッフの一人が体調を崩したのを心配した水木、他のスタッフの配慮でメッセージをFAX。
水木の思わぬ心遣いに涙したスタッフであった。

「何よりもゆったりしたキモチで・・・・。大事をとってもう一日休みなさい。~~さんえ」と書かれている。

妖怪大戦争打ち上げ
1月21日

1月20日、角川映画「妖怪大戦争」の打ち上げパーティが行われた。水木も出席。
クランクアップを喜ぶスタッフの熱気に、ただただ圧倒されるばかりの水木であった・・・。

水木の挨拶

大沢オフィスの方々、三池監督と

「手塚治虫を偲ぶ会」に出席
2月14日

2月9日は、手塚治虫氏の17回忌にあたる。この日に「手塚治虫を偲ぶ会」が催された。
会場の中は、漫画界の大御所揃い。平均年齢は、軽く60歳を越えていたのではないか?
水木は、懐かしい漫画家仲間、出版社の編集者の方々と久々に話をすることが出来た。
20年以上前に水木担当編集者だった方(今はエライ)を見つけると、あまりの懐かしさに水木は突然後ろから羽交い締め!
「わっはっは!」とお互い大笑い。「アンタいくつになった?65?まだまだ青年だ」「頭が白くなったなぁ」「先生こそ!」などと
リラックスムードで話をし、たくさん方々と楽しい時間を過ごした。
手塚先生のおかげで、旧交を温められました。ありがとうございます!手塚先生。

手塚氏の写真をバックに
水島新司氏、水木、矢口高雄氏

ちばてつや氏、水木、さいとうたかお氏 ・・・まだまだ大御所は、たくさんいらっしゃいました!

83歳の誕生日
3月9日

3月8日は、水木しげるの83歳の誕生日。昨年、一昨年の誕生日は、境港「水木しげる記念館」の開館、一周年で境港に出かけ、お祝いしていただいたが、今年は会社と自宅でゆったりとした誕生日を迎えた。
誕生日プレゼントもいくつかいただいた。「83歳か!コワイなぁ、73歳と言ってくれ・・・83って言われると倒れそうだ」などと
言っていたが、終始にこやかな一日だった。

83歳でもまだ現役!彩色中。

頂いたお花やプレゼントと共ににっこり

JR境線 米子駅が「ねずみ男駅」に
3月17日

鳥取県の米子と境港を結ぶJR境線がこの度、「妖怪鉄道」となる。その第一弾として、本日米子駅が「ねずみ男駅」となり、ねずみ男の木彫りの像や妖怪マップなどが設置された。
今日はそのことで水木しげるにテレビ取材。
「境線が妖怪鉄道になることをどう思われますか」との質問に
「妖怪が復活したようで嬉しい。自分も復活するようでね。江戸時代は妖怪が元気だったけど、電気が発達して妖怪は一時消滅してしまった。
でも、またこうやって復活したんだな。世の中の人間が妖怪に目を向けるようになったんだ。」とにこやかに語った。
テレビ朝日「スーパーJチャンネル」にて放映。(3月17日)

なぜか鬼太郎に扮したインタビュアー

また凍らせちゃった!
4月20日

水木は、食べ物を凍らせてみるのが好き。毎年夏になると、いろいろ凍らせてみる。
フルーツやお菓子を凍らせるのだが、美味しいときもあれば、失敗の時もある。(失敗が多い)
去年、「実験だ」といって、あんみつを凍らせた。寒天がすかすかになってしまって失敗!
でも、本日!・・・また冷凍庫から凍ったあんみつが発見された。あー、もったいない!

かちかちに凍ったあんみつ

凍ってないあんみつを賞味

好物、かしわ餅
4月26日

この季節になると、水木はかしわ餅を買ってくる。来客の中にも水木がかしわ餅が好きなのを知っていて
買ってきてくれる人もいる。今日は、頂いたかしわ餅を自室で食べようと、持って出た瞬間!
「落ちてしまったがな!」(←方言)

落ちたかしわ餅

捨てようとすると「洗って食べる!」と言い張り、洗ってから一口でパクリと食べた水木であった。

Oh!水木しげる展開催!
5月4日

4月27~29日、水木は、「oh!水木しげる展」の内覧会・開会式に出席するため鳥取へ。
28日は内覧会をゆっくりと見て回った。
展覧会のコンセプトの一つに「水木が喜ぶ展覧会にしよう」というものがあったというが、
確かにに水木は大喜びであった。過去出版された貸本や昔の原稿を懐かしそうに見入っていた。
また、今回の水木展のために製作された「死人帳」や「霊界輸送機」などの実物に
「あんたこれ、誰が作ったんですか」
「○○さんの発案で・・・××さんが・・・」
「ほぉ、そりゃあんた、相当水木サンに冒されとる!ワハハ」と上機嫌。
妖怪が描かれた昔の巻物にも興味津々、博物館のお目こぼしを頂いて写真に撮りまくり。
特に「おならで化け物を退治する話」が載っている巻物がお気に入りで、「ほー!」と言いながらシャッターを切りまくっていた。

28日博物館の前で

霊界輸送機にビックリ

自身の原画に見入る

「おならで化け物退治」の絵巻

29日、開会式テープカット左は鳥取県知事さん

久しぶりのテレビ収録
6月9日

水木は「たけしの誰でもピカソ」の収録のため、久しぶりにスタジオ入り。
多少緊張していたかもしれないが、「水木節」は健在!水木の話や身振り手振りにスタジオは笑いの渦。
たけしさんや渡辺満里奈さんも、しばししゃべれないほど笑いのツボにはまっていた。大サービスの水木であった。
最後にたけしさんの似顔絵を30秒ほどで描き上げ、そっくりなのでビックリ!さすが水木である。
 「最近歳を取ったかも」と心配していた我々であったが、まだまだ元気な様子にホッとした。7月30日テレビ東京系で放映。

和むスタジオ内。荒俣宏氏も出演してくれた。
(右から2人目が荒俣氏、3人目が水木)

これも好物。グレープフルーツ
6月21日

水木プロの台所のテーブルに、よく冷えたグレープフルーツがさりげなく1つ置かれていることがある。
それを「仕舞い忘れ?」と冷蔵庫に戻してはいけない!「食べたいから、今スグむけ!」という水木の無言のメッセージなのだ。
スタッフが全部むくの待ちきれずに、いつも途中でもほおばってしまう、子どもみたいな水木である。

「タベタイ!」無言のメッセージ

待ちきれずガブリ

グレープフルーツ その2
6月24日

今日はよほど早く食べたかったのか、「ムイムイ」(水木語で「むけ!」の意か)
と書かれたグレープフルーツが・・・・。もちろんスタッフは、すかさずむいた。

江戸東京たてもの園
「妖怪道五十三次展」内覧会に出席
7月22日

水木は20日、上記の内覧会に出席。自身の五十三次原画を見て回った後、記者の方々にご挨拶。
この日は、40度という記録的な猛暑。「ご覧になった感想は?」の問いに「・・・あまりに暑くて忘れてしまった。
暑さのために蒸発してしまいました」とコメント。一同、力が抜けた。 
そのあと、園内に作られた「墓場鬼太郎の家」を見て、「よくできとるね」と喜び激写していた。

五十三次の展示を見て回る

「感想は・・・暑くて蒸発してしまった」

「墓場鬼太郎の家」を激写

折り紙の妖怪
8月5日

先日、水木プロに日本折紙学会の方が来られた。今月行われる折り紙コンテストの「水木しげる賞」選定を
水木に依頼するため。たった一枚の紙で折ったねずみ男や鬼、目玉おやじ・・・折り紙に詳しくない我々素人は、
ただただ驚くばかりの素晴らしい作品ばかり。だが水木は驚くことなく一目見ただけで優秀作品を選定した上、
1位から3位まで決めていた。迷わず決定するのはいつものことだが、納得の選定であった。

折り紙の世界は奥深い・・・。

滋賀県八日市にて「世界妖怪会議」開催
8月10日

水木は上記「妖怪会議」に出席するため滋賀へ。とにかく暑いところで水木もバテ気味。
会議は、いつも通り和やかな雰囲気の中で進行した。
「水木サンは80すぎてから、幸せが溢れ出してこぼれてきとるんですわ。だからアンタ、水木サンの後ろ歩いとったら幸せが拾えるかもしれん」などと発言。
・・・下積み時代が非常に長かった水木。ようやく「幸せ」と言える気分になったらしい。

盛り上がる会場内

今回の妖怪会議出席の方々と

岩手県北上市の「鬼の館」でシンポジウム
8月19日

水木は8月15日、「鬼の館」で開かれている「ゲゲゲの鬼太郎ワールド」の絡みで開かれたシンポジウムに参加した。
呉智英氏、井村君枝氏など、水木と親交の深い方々のほか、狂言の和泉元弥氏も参加。
鬼の話からニューギニアの面の話まで、話題は多岐に渡った。

左から水木、井村氏、和泉氏

座って「鬼剣舞」を見学

「妖怪大戦争」製作発表記者会見
9月3日

来年夏公開の「妖怪大戦争」の記者発表が9月1日、東京調布市の角川大映スタジオで行われた。
水木も「怪プロデュース」の代表として参加。マイクを向けられ、「妖怪の魅力」などについて語った。

右から2番目が水木

菅原文太氏と。
(芸能界に疎い水木。実は菅原氏を知らなかった。)

「忘れんように」と直筆ポスター
10月14日

82歳の水木、やはり最近は物忘れするようになった。
「忘れないように」と、大事なことはメモを書いて自室に貼っている。
先日、スタッフに「大きい色紙(いろがみ)を買ってきなさい」と突然の指示。
何かと思うと、筆で「角川映画第1作 妖怪大戦争」と書き、社内のあちこちに貼り付けた。
水木も出演のこの映画、本人も楽しみにしているようだ。乞うご期待!(来年夏公開)

江戸東京博物館
「大(OH!)水木しげる展」開催
11月10日

11月5日、水木は上記の内覧会・開会式のため江戸博へ。
水木は内覧の時、やはり貸本漫画と戦記物の原稿に長く足を止めていた。
それだけ思いが強いのだろう。
 そして鳥取での内覧会に引き続き、またまた妖怪を描いた江戸時代の絵巻物を喜んでいた。
プレス取材の折り、「人生絵巻のご感想は」との問いに「とても面白く拝見しました」と答え、一瞬場を白けさせたが、実は、自分の描いたモノより昔の絵巻物の方が関心が強かったからのよう。

江戸博の入り口にて

開会式でご挨拶

久しぶりの海外!
メキシコに行って来ました!
12月2日

水木は、NHKBSハイビジョン「巨樹は語る」の撮影のため、11月末から10日間ほどメキシコへ。
メキシコは、水木が大好きな国の一つ。かねがね「また行きたい」と言っていたので、今回は願ってもない企画。
行く前は時差ボケや疲れを心配していたが、こちらが拍子抜けするほど元気で帰国。一同ホッと安心。
「木ばっかり見て少々飽きたね。ここ(日本)にいるよりゃずっといいけどね。(ニコニコ)」と語る姿は、そういいつつ「実は」メキシコを楽しんでいた様子がうかがえる。
来年1月27日放送。お楽しみに!

カメラマン水木
12月22日

昼下がり。仕事が一段落すると、水木プロでは「お茶タイム」が始まる。水木を中心に、その時集まれるスタッフがお菓子とお茶を楽しむ。
自他共にカメラ好きを認める水木。お茶タイムに集っているのがいつもと同じ顔ぶれでも、よく写真を撮りたがる。
出来上がった写真を見て、いつもと違うポーズや表情を見つけて「ほら、やっぱりたくさん撮るから
いい写真が撮れるんだ!写真撮るのをとめたらいかん!」・・・そして、きょうもカメラを構えるのだった。
平成17年

行ってきました!ニューギニア・セピック河
1月30日

水木は1月中旬、テレビの仕事でパプアニューギニア・セピック河へ。セピック河は水木が大好きなところで、何年も前から「行きたい」と繰り返し言っていた場所だった。
しかし、今回は現地が雨期でかなりの暑さだったことに加えて、ホテルも満足にない場所でのハードスケジュール。
そして、交通手段がカヌーしかないという奥地での移動・・・。などなど重なって、水木はもちろんスタッフもかなり堪えた1週間だったようだ。
水木はそんな中でも現地の村での踊りを楽しみ、工芸品をたくさん買って帰ってきた。
今回は現地で一時体調を崩した折り、「マサライ」(精霊)の存在を自身の体をもって確認したという水木、
「目を覚まされた」と言う。
今後の活動に好影響・・・?!

カヌーで移動。荒俣氏と水木

景色がとても良い

村人に囲まれて

水木、大好きな4氏の来訪に大喜び
3月1日

ニューギニア取材旅行関係のテレビの仕事で、水木と親交の深い4氏が水木プロを訪れた。荒俣宏氏、京極夏彦氏はもちろん、30年以上前からおつきあいのある南伸坊氏、呉智英氏の来訪に、水木は大喜び。
4氏の中には、初めて顔を会わせたという方もおいでだったが、同じ「水木幸福菌感染者同士」ということで、
甘い物を食べながら和気あいあい、笑いっぱなしの座談会となった。この様子は、3月18日にBSジャパンで放映される。

左から、呉氏、南氏、水木、荒俣氏、京極氏

84歳の誕生日
3月9日

水木は8日、84歳の誕生日を迎えた。たくさんの方々からプレゼントを頂いて、水木はびっくり。
「こういう時代になったんだなぁ」と、水木は時代の変化のせい(たくさんプレゼントをすることが流行なのか?)だと言っていたが、「違う違う」とみんなで訂正。
「それだけ水木本人に関心を持って下さる方が増えたんですよ」と、話をした。
思えば、5年ほど前までは水木の誕生日など周りはおろか、本人も忘れてしまうほどだった。家族でささやかに乾杯してお祝い、という程度であった。
こんなにお祝いしていただけるようになったのは、80歳で「水木しげる80の秘密」が出版されたり、
3年前に「水木しげる記念館」が誕生日にあわせて開館したりして、水木の誕生日に意識を向けて下さる方々が増えたということなのだと思う。
本当にありがたいことだ。

花やプレゼントに囲まれ・・・

頂いたケーキのイチゴをパクリ!

白菜の浅漬け大好き
3月23日

水木は、漬け物が好きである。高齢になると血圧が気になって漬け物を食べない人も多いが、水木は血圧も血糖値も中性脂肪も・・・全く異常がないので食べ物に気を使うことはない。
自分の好きな物を好きなだけ食べてストレスなく健康な毎日を送っている。
今日は水木自ら好物の「白菜の浅漬け」を近所のスーパーから買ってきた。「切れ」と命じられたが、夕方なので「明日にしましょう」とあきらめてもらった。
だが、再度漬け物の袋をぶら下げて来て「『切り切り』しろ。明日まで待てん」と言う。そこで仕方なく切ってみると・・・その白菜の美味しいこと!
「市販の漬け物は美味しくないことが多いけど、水木の買ってくる漬け物はなぜかうまい」と、皆が手を出しあっという間になくなってしまった。
水木は「また買ってくるよ!」と得意げ?だった。

「『切り切り』しろ。」
と白菜の袋をぶら下げて・・・。(笑)

商店街活性化にご協力
4月12日

調布市商業連合会の依頼を受け、だるまの絵を書き下ろした。今、水木プロ近辺の商店街の店には
真っ赤なだるまのポスターが貼ってある。
水木は貼ってあるのを見つけては「○○屋にも貼ってあったぞ」「~~にも!」と大喜び。
そして、もちろん水木プロ内にも貼った。

「商連」でスタンプラリーもやっている

書庫の引っ越し
4月22日

水木プロが書庫にしていたマンションの一室を、この度引っ越すことになった。
この部屋は、20年ほど前に数年間水木プロが事務所として使っていたが、手狭になったため事務所を引っ越し、その後に書庫として使っていた。
水木は、自作品を買い揃えるのが好き。、水木は時々この書庫に来て、たくさんの自作品を眺めて悦に入るのが楽しみの一つだった。
数十年のうちにたまりにたまった書籍は、ものすごい数。
スタッフがほこりだらけになりながら作業し、部屋には瞬く間に段ボールの山が。壮観である。

河童の絵を奉納
4月28日

台東区にある「曹源寺」(かっぱ寺)住職のご依頼を受け、河童の絵を奉納することとなった。
このお寺には、たくさんの漫画家による河童の絵が奉納され、天井に飾られているそうだ。
河童の絵は得意な水木、一筆書きのようにさらりと描き上げたが「ちょっと怠けたかな・・・」との感想。

そろそろ暑くなってきましたね
6月2日

6月になり、暑い日も多くなってきた。水木プロの冷凍庫には、また氷菓子が増えている。
今日は珍しくいちご味のアイスを買ってきた水木、間違えて苦手なミルク味の入っているものを選んできてしまった。
失敗・・・の表情。

水木とつげ義春さん
7月8日

水木は、つげさんが時々気になる。思い出したように「どうしているかなぁ。息子さんは元気かな」などと気にかけている。
数ヶ月前、数年ぶりにつげさんが水木プロに訪れ、水木は大変喜んだ。やはり、あの独特のキャラクターが水木を引きつけるのだろうか。
つげさんの本が本屋さんに出ていると、つい買ってしまう。同じ本を複数買うことも多い。
今日は、つげさんの亡くなった奥さん(藤原マキさん)の著書を2冊買ってきた。揚げ麺と一緒に・・・。(水木の揚げ麺ブームはまだ続いている)

「私の絵日記」 藤原マキ著

境港「新規妖怪ブロンズ像入魂式」に参加
7月20日

水木は7月15日に行われた「入魂式」に参加した。今回増えた27体のブロンズ像一つ一つに手を触れて、水木はブロンズ像が増えたことを喜んだ。
米子駅にねずみ男の像や妖怪地図が3月に設置されているので、それを見るためにJR境線にも乗った。
1年半ぶりの境港だったが、超ハードスケジュール。しかし水木は疲れも見せず楽しんでいた。
平日だったのに各メディアやファンの方々に大勢出迎えていただき、とても感激いたしました。ありがとうございました。

ブロンズ像に入魂!

記念館の壁に鬼太郎の絵を

世界妖怪会議@中野サンプラザ
7月25日

7月23日、世界妖怪会議が開かれた。といっても、今回は妖怪大戦争の試写を兼ねたプロモーションだ。
今回は荒俣宏氏、京極夏彦氏のほか、宮部みゆきさんや妖怪大戦争主演の神木君、高橋真唯さん、三池監督なども参加して、いつもとはちょっと違うフンイキのステージだった。
だが水木は荒俣氏に促されるまま、いつものように「肥だめに足を突っ込んだ話」などをし、
いつも通りの調子の「水木節」であった。
会議の途中で震度4の地震に見舞われたが、滞りなく終わった。京極氏が会議終了後に「妖怪大戦争は火事と地震に見舞われたから、
後は雷とオヤジが来れば、大当たり間違いなしだ!」とおっしゃっていたのが印象的だった。(笑)(オヤジは既に大勢いるのでOKですね)

会議の最後に会場をバックに
出演者全員で記念撮影

涼んできた水木
8月25日

水木は、あまりの暑さに富士山の麓に避暑に出かけた。今回は5日間もゆっくりして、台風が来る直前に東京に帰ってきた。
「富士は、涼しいけど退屈だナ」と一言。不在の間に本が2冊も刊行されていた(「ユリイカ」水木特集、ねずみ男流生き方のすすめ)のに驚く。
そして書棚をチェック。しばらくすると久しぶりに「総員玉砕せよ!」を見つけて取り出し、「これは水木サンのほどんと100%実体験なんだ。
このことが分かるように、表紙にでもきちんと書いておかなけりゃいけなかったなぁ!」と言って、なぜか本屋へ。
聞くと、「総員玉砕せよ!」と5冊注文してきたという。書庫にたくさんあるのに・・・。
それだけ、「総員玉砕せよ!」は特に思い入れの強い作品なのだろう。

座り込んで書棚をチェック!

イスから落ちる!
10月6日

「睡眠至上主義」の水木、会社でもよく寝る。今日は、いつもは横にならない「足にコマのついたイス」を2つくっつけて寝てみた。
足にコマがついているので動いてしまい、お尻から転落!・・・お茶目な水木であった。

なかなか具合がええワ

お、いすが動くガナ!
(↑方言)

「・・・撮れ!」(撮影を指示)

第5回織部賞授賞式
11月8日

水木は、「織部賞グランプリ」を受賞することとなり、11月4~6日岐阜に出かけた。
受賞の挨拶は相変わらずの水木節。それまで静かな雰囲気だった会場も、水木が登場したとたん笑いに包まれた。
岐阜県知事から賞状と、日比野克彦さんデザインのトロフィー(「豆腐松茸卵桜桃」という)を頂いたあと、
第2部で1畳大の美濃和紙に鬼太郎のイラストを即興でドローイング。
会場は息をのんで水木の筆に見入っていた。

日比野氏デザインのトロフィー

日比野氏と受賞の話

美濃和紙にドローイング

大作の出来上がり!

川崎市市民ミュージアム
「大水木しげる展」を観る。
11月30日

水木は、11月19日から開かれている「水木展」を観に出かけた。水木展は、川崎市市民ミュージアムで11会場目になる。ほぼ日本全国を巡回した形だ。
地方会場には、なかなか出かけられなかった水木、去年の江戸東京博物館以来1年ぶりの水木展を改めて喜び、
見入っていた。江戸博の時と同じように、やはり喜んだのは江戸時代の妖怪に関する物を集めたコーナー。市民ミュージアムの学芸員湯本氏のとっておきのコレクションだ。水木は時間をかけて見入り、最後には妖怪に造詣が深い湯本氏に敬意を表し、水木自ら求めてツーショットの記念写真を撮らせて頂いたほど。

40~50年前の貸本を集めたコーナー。
「よくこんなに揃えられたなぁ!」

湯本氏の妖怪コレクションに見入る

あんパンを食べる
12月16日

水木は和菓子が好きだ。だが実は、あんこ物は「つぶ」が苦手で「こしあん」が大好きなのである。
今日は頂き物の高級洋菓子でお茶タイム。だが水木はそれには目もくれず、
スタッフが戯れに買った5個100円の「薄皮こしあんパン」を立て続けに2個頬張り
「これは上等だ!これが一番だ!どこで買ったんだ!」と叫んだ。 
スタッフが「○○ストアです。でもこれ、つぶあんのはよく売ってるんですけど、こしあんのはなかなか置いてないんですよ」と言うと、「じゃぁ毎日自転車で偵察に行け!見つけたらごっそり買い占めるんだ!」と命令。
しかし、あんパンをごっそり買い占めても日持ちしないのに・・・・。

薄皮こしあんパン

平成18年

アングレーム国際マンガフェスティバルで
「のんのんばあとオレ」が最優秀コミック賞を受賞!
2月5日

1月27日、フランスのアングレームで行われた国際マンガフェスティバルで、水木が上記の賞を受賞した。
フランスの版元コーネリアスも「ノミネートされた50作品のうちに入ってはいたが、まさかこのマンガが受賞するとは思っていなかった」とのことで、水木はもちろん、皆ビックリ。
実は今回の受賞は新聞報道で知ったのだった
思いがけない朗報に水木は大変喜んでいる。授賞式はコーネリアスの代表が出て下さったので、水木が渡仏することはない。
トロフィーは早々に送って下さった。
今年はゲゲゲの鬼太郎の実写映画、5回目のゲゲゲの鬼太郎テレビアニメ放映、と鬼太郎づいた年になりそう。
今回の受賞で「世界の水木だ!」と水木は更に浮かれている。
そのせいか昨年末から妙に水木プロは忙しい。本当に有り難いことである。
「長生きするといいことがあるものですね。120才までばく進ですね!」と、日々話している。

水木が持っているのは、
「のんのんばあとオレ」フランス語版と、トロフィー。猫の形をしている。

花は賢い
2月21日

「この花を見てみ。ほとんど白だ。でも色があるように見える。花は賢いなぁ。白だけど、白じゃない。う~~ん。こうやってきれいに見せとるんだな。」

「アングレーム」受賞で各所から頂いた花束がそろそろくたびれてきたのでコップにいけ替えたところ、じっくりと花を見て水木はこう感想を述べた。
白だけど、ごく薄いピンクや黄色の花は確かにきれい。ファンの方ならご存じかと思うが、水木はロマンチストなのである。

実写版 ゲゲゲの鬼太郎試写
2月26日

先日、松竹の鬼太郎実写映画試写会が行われた。
水木は「二枚目の鬼太郎(ウェンツ)ってのはどうかなぁ」と心配していたが、その思いに反して映画の出来はとても良かった。
CGもうるさくなく、妖怪らしさが出ていたし、それより何より水木の世界に忠実であろうと制作者側が努力してくれたことがよく分かる。
水木は一反木綿に鬼太郎が乗っているシーンには特に合格点をつけた。「なかなか良くできてる!」と。
観た後、お世話になったプロデューサー氏らに荒俣宏氏と共に感想を述べた。 
期待を裏切らない映画になったと思います。ありがとうございました。

アニメ版 ゲゲゲの鬼太郎試写
3月29日

去る3月20日、アニメ版ゲゲゲの鬼太郎のマスコミ試写が行われた。水木も出席し壇上で「アニメも5回目ですか。鬼太郎には稼いでもらってます。
では去ります」と一言あいさつ。第1回のアニメの試写のあと水木は「74点」と点数をつけた。実写版鬼太郎の時は「79点」だったので、僅差だ。
水木が80点以上つけることはごく稀なので、これはどちらも高得点。
今回の鬼太郎は、キャラクターがとても可愛らしく、子供が楽しめる作りになっている。
ゲゲゲの鬼太郎5回目のアニメ放映は、4月1日から。

試写会の最後にオープニングを歌う泉谷しげる氏、エンディングを歌う長井秀和氏、プロデューサー氏らと記念撮影。

今はそうめんがマイブーム
4月21日

水木は麺類が好きだ。朝食には蕎麦やうどんを食べることも多いが最近はなぜかそうめんがマイブーム。ふらっと立ち寄ったコンビニで見つけた素麺がおいしかったらしく、度々買ってくるようになった。
だが、コンビニのそうめんより、「揖保の糸」とか「三輪素麺」などの乾麺を茹でて食べた方が美味しいに決まっている!と、スタッフが買ってきて茹でた。
けれども水木は「これじゃないんだ!すぐ食べられるあの店の素麺が・・・」と言うが早いか、コンビニに買いに出てしまった。
水木は買って戻ってきたが「食べ比べてみて下さい」と、茹でたての素麺とコンビニの素麺を食べ比べてもらった。
「こっちの方がうまい」と言ったのは・・・やはり乾麺の方。「コンビニの方が美味しいと言われたらどうしよう」と皆思っていたのだが、よかった・・・。

なんとコンビニ素麺を3つも買ってきたが、茹でたて素麺の勝ち!

荒俣宏氏と水木3兄弟
6月2日

先日、荒俣氏が水木プロを訪れた。お会いするのは久しぶりで水木は楽しみにしていたのだが、荒俣氏が来られたとき水木は自室でぐっすり昼寝中。
起こされて、寝ぼけまなこでお会いしたのでいつものような会話が弾まず、ちょっと残念。
それにしても、荒俣氏はとても優しい。心から水木を気遣って下さる。包み込むようなおおらかさ。外見も中身も文字通り「大人物」だ。
次の旅行企画のお誘いをいただき、水木はだんだん目が開いてきた。
荒俣氏が帰られるころ水木の兄がちょうど来て、マネージャの弟も合わせて水木3兄弟が揃った。86、84、82才の兄弟はとても元気。この年齢でも、3人とも医者知らずだ。
中でも86才の兄が一番元気である。「3人揃って是非100才までいって下さい!」と荒俣氏にエールを送られ、記念撮影をした。

左から荒俣氏、水木の兄、水木、水木の弟。荒俣氏の「ねずみ男シャツ」がとても鮮やか。

腰が・・・
6月19日

足腰は丈夫だったはずの水木が、珍しく腰を痛めた。おそらく誰もいない週末、コマのついたイスに座って足をテーブルに載せた時、うっかり腰から落ちたのだ。
重い本を何冊も抱えての移動も全く苦がなかった水木だが、今回ばかりは堪えたようだ。「歩いとるうちに治る!」と言い張っていたが、家族が説得して医者に。
診察の結果大きな問題はないようで、しばらく様子を見ることになった。ホッとしたが、しばらくおとなしくしないと・・・。→1週間後にはすっかり回復しました!ご心配をおかけしました。

突然の夕立
7月3日

急に空が暗くなり、ゴロゴロ・・・・そして突然の夕立。雹まで降って皆ビックリ。「全部窓は閉めた!?大丈夫?」と確認し、ホッとしていたら死角が!
雨がやんだ頃部屋に戻った水木が、皆のところに戻ってきて「大変なことになってるの。来て。」と手招きをする。行ってみると・・・水木の部屋の窓が全開になっていた!
いつも開いていないことが多いので気づかなかった!水木が山積みにしていた本がびしょびしょ。
スタッフ総出で全て運び出し、応接間に広げて乾かすことにした。コンパクトに見えた本類も、広げるとすごい量になるものだ。

スゴイ量の本!

水木の決意
7月25日

水木は今日、定期検診で病院に出かけた。そこで医者に「老化防止のため、軽い運動をするように」と言われた。「水泳でもしたらどうですか」と言われたらしいが、
わざわざジムに出かけるのは億劫な水木、手っ取り早く水木プロの事務所(マンションの5階)に行くのに毎日階段を使う決意をした。忘れないようにとドアに張り紙まで書く意気込み。
果たして続くだろうか・・・。

水木プロのドアには、このように掲載誌のカラーコピーがたくさん貼ってあります。

妖怪そっくりコンテスト
8月22日

8月20日、境港市において「妖怪そっくりコンテスト」が開かれた。全国各地からそっくりさんが駆けつけ、会場内は熱気ムンムン。怪しい雰囲気が漂った。
最優秀賞に北海道から来た「こなき爺」と小学1年生の女の子「あかなめ」が選ばれた。水木はとても感激。「これからもりっぱな妖怪になれるようにがんばって下さい」とコメントした。

鬼太郎ちゃんちゃんこを着た水木の右が最優秀賞の「子なき爺」左が「あかなめ」

そっくりコンテストの前日には、7月に設置された5mの鬼太郎石像に会う。

隠岐でのんびり
8月25日

水木は境港での「妖怪そっくりコンテスト」から広島での妖怪会議までの間、鬼太郎フェリーに乗って隠岐に出かけた。隠岐には数年前にも訪れたことがあるが、鬼太郎フェリーに乗るのは初めて。
フェリー内では「水木ルーム」に通され上機嫌。隠岐では、美しい景観の「国賀海岸」や水木の本名「武良」のルーツなのではないかと言われる「武良郷」にも立ち寄り、
隠岐を満喫して帰った。隠岐はとても良いところです。皆様も水木しげるロード観光の後は、境港から「鬼太郎フェリーで隠岐の島にござっしゃい」by水木しげる

美しい国賀海岸にて妻と

世界妖怪会議@三次

8月27日、毎年恒例の「世界妖怪会議」が開かれた。今年は広島県三次市での開催。三次は「稲生物怪録」の地でもあり、水木は過去にも何度か訪れている。
今年のゲストは辻井ジュサブローさん。今回水木はステージで、大きな紙に鬼太郎ファミリーの絵を即興で描いた。
この絵は、三次市の歴史民俗資料館に当面展示される。

ステージにて、鬼太郎のちゃんちゃんこを着た水木が語る

10分ほどで描き上げた即興の絵

会議前のひととき、ホテル近くのスーパーで荒俣さんとお買い物。

「大水木しげる展」お礼の会
10月24日

朝日新聞社主催の「大水木しげる展」が全国12会場を巡って、この8月無事終了した。平成16年4月の鳥取県立博物館を皮切りに、足かけ3年の長きに渡って全国を巡回し
30万人近くの人たちに水木の世界を楽しんでもらうことが出来た。この「大水木しげる展」に尽力して下さった方々をお招きして10月13日、お礼の会を開催した。
プロデューサーの荒俣氏や京極氏、主催の朝日新聞社の方々をはじめ皆さんにおいで頂いて、水木はとても喜んでいた。中華のコース料理だったのだが、水木はフカヒレや北京ダックよりも、
最後の「フルーツ盛り合わせ」と「汁ソバ」が一番美味しかったようだ。
最近の水木は、とにかくフルーツと麺が好き。

荒俣氏、京極氏に見守られ、フルーツ盛り合わせを前に思わず立ち上がる水木。

たくさんの方にお集まりいただいた。下から2列目右から3人目が水木。真ん中で色紙を持っているのが企画をして下さった朝日新聞の藤本氏。

松竹実写版「ゲゲゲの鬼太郎」いよいよ!
11月15日

実写版鬼太郎の公開まであと半年。ポスターやチラシなどが送られてきたので水木は早速ポスターを入り口ドアに貼らせた。
水木は、鬼太郎が実写映画になることは喜んでいるが、どうも「ウェンツ鬼太郎」には、なかなかなじめないらしい。「鬼太郎は二枚目じゃない!」と。

角川書店「怪」怪大賞選考会
12月13日

12月8日「怪大賞選考会」が行われた。おなじみの荒俣氏、京極氏らと和気あいあい、楽しく選考は進んだ。作品を見た水木のコメントは早いが的確で、皆、納得。
この後、忘年会も行われ、楽しい時間を過ごした水木だった。

「う~ん、これは79点だね」

顔をつき合わせて選考を進める3人

平成19年

パパイヤの珍しい食べ方
1月25日

好物のパパイヤを頂いた。水木は「パパイヤの珍しい食べ方を教えてやる」と言ってスプーン一つで食べ始めた。「戦争中ラバウルではこうやって食べとったよ」と。
昔はもっと小さな穴で食べていたそうだ。水木にこんなに器用な技があったとは・・・。皆ビックリ。

パパイヤに穴を開けてそこから種と身を・・・

ほじくり出しながら食べるのだ!

食べ終わったパパイヤ。まだ
中身が入っていると思いきや

薄皮一枚だけなのだ! 「ラバウルの時はこれで他の 兵隊をだましとった。ハハハ」

香港旅行
2月19日

水木は、2月8日~12日香港旅行に出掛けた。荒俣宏ご夫妻、水木プロスタッフも一緒で和気藹々。ちょうど旧正月の時期に当たったので店が半分ほどしか開いていなかったが、
水木は大好きな骨董品街を歩き回って楽しんだ。なかでも「19世紀のもの」してと売られていたぼろぼろの扇子は、なんと10万円!水木は、周りが止めるのも聞かず購入。
「国宝だ!」と大喜びしていた。
荒俣さんのエスコートでおいしい飲茶や海鮮料理などにも舌鼓。旅の疲れも見せず、食欲は全開だった。
「香港には万物があります!店の連中が売ろうとする迫力がまた面白いんだナ。」と、香港の魅力を語っていた水木。今回はそれを満喫できたようだ。

荒俣氏と骨董品街を巡る

食べるぞ、飲茶!

いけすから捕ってきたばかりの
魚を料理してくれる海鮮料理屋

自宅のギャラリーの整理
3月7日

3月2日、京極夏彦さんやお世話になっている編集の方々に水木の「世界各国から買い求めてきたコレクション」を
整理して頂いた。昨年4月に同じく京極さんらに整理していただいてから、水木があちこち動かして混沌とした状態になっていた。
今回また整理していただいたお陰で見違えるようなギャラリーになり、水木は大喜び!
終わった後はしゃぶしゃぶ屋で慰労会。
ほこりだらけになりながら頑張っていただいた皆さん、ありがとうございました!

展示が完成!ご苦労様でした!

しゃぶしゃぶ屋で。左は京極氏

調布市名誉市民の称号を頂きました
3月7日

3月6日、水木は調布市役所議会場での「調布名誉市民顕彰式」に赴いた。水木はこの度、調布市で2人目の名誉市民になったわけである。
議会場で市長から賞状とメダルを頂き、「嬉しいと言わざるを得ないね。これだけカメラも来ているし」などといつもの水木節でコメント。
その後、控え室では「他の市にも名誉市民というのはあるの?ああ、ある。そうでしょう。金がかからんで人を喜ばせられるんだから」と、
またまた水木節。(汗)
「調布は畑が多くて田舎だから、妖怪も住みやすいでしょうね」と、これからの調布市の「妖怪的発展」にも期待を寄せていた。

後ろ中央が調布市長、長友貴樹氏 前列左は妻・布枝

3月8日は86歳のお誕生日
3月21日

水木の86歳のお誕生日。80歳を過ぎた頃から、なぜだか水木の誕生日を注目してくださる方が増え、今年もたくさんのお花やプレゼントを頂いてしまった。
実は水木はロマンチスト。柄にもなく?花が大好きなのである。2つ3つ、気に入ったアレンジの花を自室の机の上に置き、ご満悦だった。
でも今年は花屋が開けるほどあちこちから送っていただいたので、応接室のテーブルの上にも置いてみんなで楽しませて頂いた。

「85歳までは『ああそうか』という感じだけどね、86歳になると90が近くなってくる感じでがっくりくるねぇ~。わっははは!」と水木。
そうは言いつつ86歳もマイペースで頑張る水木です!

自宅倉庫の引っ越し
4月23日

去る4月8日、水木しげる自宅倉庫の引っ越しが行われた。水木が何十年もかけて収集してきた世界各国の精霊達の彫像、民芸品などの引っ越しである。
今までプレハブ倉庫に入っていたものを、改築した自宅2階に移動する作業だ。水木と家族だけではとてもやりきれない量なので、助っ人をお願いした。
京極夏彦さんをはじめ、村上健司さん、「怪」編集長郡司さんほか、水木プロスタッフも含め総勢10名である。
整理が得意な京極さんの指示のもと、作業はスムースに行われ、自宅2階は1日で立派な展示室になった。
コレクションの中に水木マンガのルーツを見つけ、そのたびに京極氏や村上氏は大喜び。

最後に水木と記念撮影!

フランス大使館にお招きを受けました
5月29日

去る5月16日、フランスの出版関係の催しでフランス大使館からお招きを受けた。今年1月にフランス・アングレームで「のんのんばあとオレ」が大賞を頂いたことからお招きを受けることになったらしい。
当然の事ながら大使館の中はフランス語があふれ、「オー!ミズキサン!」とフランス人に囲まれて何枚も写真を撮り・・・85歳には少し疲れる時間だった。漫画家仲間のちばてつやさん、やなせたかしさんらを
見つけるとホッとして駆け寄っていた水木だった。
この日以外にも、フランス国営テレビや雑誌などの取材もこのところ相次ぎ、思いがけずフランスから注目を受けていることに水木は、戸惑いつつも喜んでいる。

麻布の住宅街に、こんなに広い庭園があるとは。(フランス大使館)

知り合いを見つけた!ひさしぶり!
ちばてつやさん

水木、渾身の戦記漫画「総員玉砕せよ!」がNHKでテレビドラマに
5月29日

太平洋戦争当時、水木が出征した戦地ニューギニアでの実体験を漫画にした「総員玉砕せよ!」。これは、何よりも思い出深い作品であると水木は常々語っている。
この漫画をもとにしたドラマがこの夏、NHKで放映されることになった。「鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~」というタイトルで8月12日放送。
この漫画を描いた昭和40年代の水木の姿を中心に、戦地での体験を織り交ぜながらドラマは展開する。
「水木」と「丸山二等兵」(「総員玉砕せよ!」の中で水木自身として描かれている人物)は、共に香川照之さんが演じる。
香川さんは、先日水木プロにおいで下さった。シナリオを読み込んでいるだけでなく、水木の著書、ドキュメンタリーなどをたくさんご覧になり水木について深く研究していた。
水木の生き様をしっかり演じようとして下さっている姿に、スタッフ一同大変感激した。ドラマがとても楽しみである。 ただいま、香川さんはニューギニアロケ中。

香川さんと水木

熱い!暑い!夏
8月8日

今年は本当に暑い。気温だけでなく、鬼太郎が熱い。
出版物やイベントの対応で、水木プロの7月はとても忙しかった。
今年の夏は、鬼太郎のアニメや映画の影響か、いつもにも増してすごい勢いであった。
「近況」の更新もできないほど・・・。
境港の水木しげるロードや水木しげる記念館の入り込み数も関係者が驚くほど増えており、
水木ロードの悲願「観光客年間100万人達成」も軽く超えそうだという。
ありがたいことである。

筆で鬼太郎をサラリと

あわてふためく周囲を気にすることもなく、水木は
「なんだかこの頃、本がたくさん出て覚えきれんなー」とつぶやきながら
いつものペース。今日もキャスター付きのいすから転がり落ちそうになっている。

靴下をずらし、「暑くてやれんな~」いすから落ちる5秒前!

NHKドラマ「鬼太郎が見た玉砕」秘話
8月28日

8月12日に放送された「鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~」は、とても好評だった。香川照之さんをはじめ皆さんの意気込みが観る人にも伝わったようだ。
水木は、このドラマを見て「水木サンに、よー似せちょーな!(よく似せてるな)」「良くできとるよ!」と喜ぶ一方、戦争のシーンは「実際はもっと過酷で死にものぐるいだった」と言っていた。
「戦争は、戦争を体験した人間にしか描けない」と水木はよく言っているが、やはり実際の戦場は知識や想像だけでは描けないのだろう。
ドラマでもかなり戦場の過酷さは伝わってきたのだが、本当の戦場は戦争を知らない我々の想像を超えた世界なのだ・・・。

このドラマは、キャストの方々だけでなく演出の柳川強さんはじめ、スタッフの皆さんの並々ならぬ努力によって生まれた。「私はくるわに咲く花よ~」という歌が使われていたが、
これは水木の原作「総員玉砕せよ!」でも象徴的に使われている。この歌のメロディーを、NHKで頑張って探したのだが見つからなかったので、結局水木自身に歌ってもらうことになったのだ。
水木が歌ったメロディーをすぐに歌手の人が歌い、違うところを水木がチェックし、また歌ってもらって・・・ということを繰り返して楽譜に起こした。こんな地道な作業の結果、あの歌がドラマで流れた。
 また、「総員玉砕せよ!」を描いている水木の部分。これは水木プロのチーフアシスタントが、NHK名古屋スタジオに出向いて作画シーンのご協力をした。
「香川さんにGペンの使い方を教えてあげたら、飲み込みが早くてビックリした!」と言っていた。香川さんはとても器用な人らしい。
「鬼太郎が見た玉砕」は、この秋に再放送があるそうなので、見逃した方は是非ご覧になってください。

妖怪会議@京都
8月28日

今年の妖怪会議は、東映京都太秦撮影所で行われた。荒俣氏、京極氏、多田氏など、いつものメンバーに加え、今年はアニメの猫娘役の声優今野さんも参加。ステージに花を添えた。
水木は、「妖怪はいるんです!目に見えなくてもいるんです!」と力説。しっかりとメッセージを伝えた。今年も鬼太郎の絵を即興で描くパフォーマンスをし、会場の皆さんに楽しんでいただいた。
また、物販コーナーで荒俣さん、京極さんが著書にサインをなさっていたので、水木のサインも・・・と、待っていてくださった方々がたくさんいらっしゃったが、水木は高齢のためたくさんのサインに
対応することができない。申し訳ありません・・・。

即興で鬼太郎を描く水木

こんな絵ができあがった!

第2回妖怪そっくりコンテスト@境港
10月15日

10月13日、昨年に続き2回目になる妖怪そっくりコンテストが境港で開催された。水木は審査委員長として出席。会場はたくさんの妖怪達の熱気にあふれた。
水木はこの熱気に圧倒されていたが、優勝の方に賞状を渡して最後は記念撮影。
前日には「水木しげる記念館」を訪れ、昨年に引き続き階段の壁に大きな絵を描いた。今回はぬりかべ、一反木綿、ねずみ男。
この数日は「全国和牛博覧会」が米子で行われており、境港周辺も大変な人出であった。
今回もたくさんのファンの方が水木にサインを求めて下さった。だが、水木はこのところサインをすることがとても疲れるようになってしまった。
大変申し訳ないが、どうか高齢の水木を遠くから見守っていただきたい。

コンテスト最後に記念撮影
前列右端が優勝の「砂かけ婆」さん

記念館の壁に直筆画を

隠岐「武良祭り」に行ってきました
11月1日

水木は10月19日に行われる「武良祭り」の大祭に合わせて、隠岐に渡った。
「武良」は水木の本名で、鳥取県境港市には多い名字だ。隠岐には「武良郷」と呼ばれる集落があるが、なぜか武良姓の人は住んでいない。
水木はかねてから「自分の先祖は隠岐の出身ではないか」と感じており、隠岐に「武良祭り」というものが存在するのを知って行きたがっていた。だがなかなか行くチャンスに恵まれることはなかった。
今回は隠岐汽船に鬼太郎フェリーが就航したことから、隠岐の方と親しくさせていただくうちに、武良祭りに行かせてもらうこととなった。
武良祭りはとても大がかりな祭りなのだが、地元の人だけの手で1000年以上守られているという。
水木は大変な喜びようだった。祭りの写真を撮りまくり、大興奮!感想を求められると「500年前の古代霊が話しかけてきたふうだったね。あの松の木(祭り場の中央に鎮座している樹齢5~600年の松)
のあたりにどうもその霊がいるようだナ。水木サンは何か目に見えないものの力でここに呼ばれたんです。とても居心地がいい。」と真剣な表情で語った。
東京に戻ってきてからも水木の元気は持続している。「隠岐には何度も行きたい。次はいつ行く?」と言うほど。
最近水木は、旅行に出掛けるのがおっくうになっていたので心配していたのだが、隠岐の古代霊に元気をもらったようである。ありがたいことだ。

祭りの写真を撮りまくる

祭りの後、民家で歓待を受けた

「500年前の古代霊が宿っている」
と水木が言う、祭り場の松

翌日は武良郷の神社巡りを楽しむ

水木復活!
12月7日

水木は数年前から白内障の症状があったが、ここ数ヶ月で急激に悪化してきた。印刷物の文字はほとんど読めず、
絵を見るのにも虫眼鏡と拡大コピーに頼らなければならない。
どうにも不自由になってきたので思い切ってこの度、手術をすることにした。そして昨日、右目を手術。
今日眼帯を外したのだが、病院で視力検査をした第一声。「おお!よく見える!こら、どうしたことだ!」(^O^)
今日はその後、出社して本や写真の整理を始めた。よく見えるので嬉しいらしい・・・
よく見えるのが右目だけなので、左右の目を交互にパチクリして「右はよー見えるわ」と、静かに喜びを表現している水木だ。
来週は左目を手術することになっている。両目がクリアになれば、水木は更に元気になること間違いない!(^o^)/

右目に、目を保護する透明な眼帯をつけて、絶好調!

平成20年

水木しげる朝日賞受賞!
3月7日

水木は1月28日、朝日賞を受賞した。朝日賞は朝日新聞社が主催する賞。水木の他に沢地久枝氏、別役実氏、大隅良典氏が受賞した。水木のスピーチは、このような厳粛な授賞式でも「水木節」全開。
「・・・何をしゃべるんですか?」からはじまり「受賞の喜びって言ったって・・・。わたしゃ喜びって言うと南方の土人のことを思い出すんですよ」などなど、
いつもと同じ水木のペース。荒俣宏氏も壇上でスピーチを助けて下さり、会場はますます笑いに包まれた。

朝日新聞社社長より賞を頂く

荒俣氏と共にスピーチ

水木しげるまたまた受賞!
今度はフランス・アングレーム国際漫画フェスティバル 遺産部門賞
3月7日

1月末に行われたアングレーム国際漫画フェスティバル。2年前に水木は「のんのんばあとオレ」で大賞を頂いたが、今年は「総員玉砕せよ!」で「未来に残したい漫画」という遺産部門で部門賞を頂いた。
「総員玉砕せよ!」は、水木が特に思い入れが深い作品である。「賞」とては朝日賞に引き続いての受賞だが、水木はどちらも同じくらいの喜びよう。
フランスで認められていることは、日本での賞とはまた違う思いがあるようだ。

顕彰像除幕式&87歳誕生日

3月8日、水木は87歳の誕生日を迎えた。この日、誕生日に合わせて境港・水木しげるロードで水木の顕彰像除幕式が行われた。昨年暮れ頃から腰を痛めている水木。
境港に行けるかどうか心配だったが、この日はこの時季の境港とは思えないほどの好天。日差しはぽかぽかと暖かく、水木の誕生日を祝ってくれているような陽気だった。

境港市長さんと水木夫妻

顕彰碑の文言は
「なまけものになりなさい」

終わった後は水木しげるロードの「鬼太郎茶屋」で猫をなでなで

メガマック
4月7日

水木は新聞のチラシの中からマクドナルドのクーポンを見つけた。その中でひときわ大きく写真が出ていた「メガマック」を見て、次女の悦子に一言。
「お父ちゃん、これが食べタイ」 
これには皆びっくり・・・!水木はマックのハンバーガーを食べたいと言ったことなどなかったから・・・。
水木の弟のマネージャも「オレもハンバーガー久しぶりに食ってみるか!」と言うので、買ってくることにした。
初めてのメガマックを水木は上下2段に分けてかぶりついた。そして一言
「うまい。お父ちゃん、明日の昼飯もこれにスル」
意外だ・・・。よほど気に入ったらしい。

「なかなかええわ。揚げたイモもうまい」

美保関、遠野、隠岐への取材旅行
5月23日

最近水木は、珍しく月1回ペースで取材旅行に出掛けている。高齢になり出掛けるのが億劫になりがちな水木だが、出掛けるとその土地からパワーをもらうらしく、とても元気になる。
4月には角川書店の面々、京極夏彦氏らと島根県美保関にある美保神社へ、5月には岩手県遠野市へ、そして6月には島根県の隠岐へ。
元気な水木を見るのは皆、とても嬉しい。この夏も水木はガンバリマス!

美保神社の船の上での神事。中央の白いマフラーが水木。後ろは京極氏。

遠野で。オシラサマ

隠岐への旅
6月13日

水木はまたまた隠岐に出掛けた。今回はテレビの仕事である。昨年行われた武良祭りの会場に水木のブロンズ像が設置されることになりそれについての相談も兼ねてだ。
「隠岐に行くと気持ちが落ち着くね。ブロンズ像ができたらまた行くよ!」と隠岐のことになると積極的になる水木だ。
今回は昨年見つかった「ねずみ男岩」も船に乗って見に出掛け、隠岐滞在を楽しんだ。

武良郷の方々が「水木しげる先生お帰りなさい、武良へ」と書かれた横断幕を持って登場。
最近、ちょっとやそっとのことでは心を動かされることがない水木だが、
この出迎えは本当に嬉しかったようだ。
「これはこれは・・・!」と満面の笑みを浮かべていた。

思いがけない方に・・・
8月20日

水木を応援して下さる方は、各界の思いがけないところにいらっしゃる。先日もさかなクン、中川翔子さんが来られた。お二人とも水木の大ファンで、絵がとても上手。
水木の作品の絵を何も見ずに、ソラで信じられないくらい上手に描かれる。水木も「上手だ!」と素直に驚いていた。

さかなクン。テレビで見る通りのテンションの高さ。水木「あんたの熱気に倒されそうだ!」

しょこたん。とても言葉遣いが丁寧。「ギザカワユス」なんて一言もなかった。

水木、絵を描く
8月20日

この夏も暑い。この夏、水木はイベントに出掛けることを控えた。昨年まで境港の「妖怪そっくりコンテスト」、角川書店主催の「世界妖怪会議」などに出席していたのだが、今年はない。
(ナゴヤドームでの角川書店主催のイベント、8月29日に新橋で行われる鳥取県アンテナショップオープニングイベントには出席)86歳になって、暑さもひとしお堪えるようだ。
けれども室内では、エアコンが寒く感じるので鬼太郎ちゃんちゃんこを愛用している。
先日仕事で大きな絵を、墨と朱墨のみをつかって筆で描いた。水木は楽しかったようで、とても良い出来に仕上がって満足げ。まだまだ水木の画力は冴えてます!

秋深し・・・
10月28日

総員玉砕せよ!のフランス語版が出版された。フランスから送られてきたそれを眺めていた水木。お茶の時間になってもなんだか寡黙だ。
「補聴器を新調して会話もよく聞こえるようになったのにどうして・・・?」と聞くと、「戦争で死んだもんやち(死んだ人たち)のことを考えちょった・・・」と言う。
このところめっきり秋らしくなってきた。水木もちょっとセンチメンタルな気分になったらしい・・・。

(補聴器は高級品で、装用感もいいようで水木は喜んで毎日つけている。ついでに最近眼鏡も新調して、喜んでいたのだがどこに置いたのか紛失してしまった。
眼鏡をかけた顔はきりりと引き締まって良かったのだが・・・)

水木が元気になりました!
12月10日

この頃水木がとても元気だ。というのは、他でもない!妻が帰ってきたからなのだ。
水木の妻、布枝は先週まで股関節の手術のため5週間入院していた。その間、水木は週に1~2度お見舞いに行っていたが、家では「お母ちゃんがいないと家の中から太陽が
消えたようだ・・・」「腕をもう一本もがれたようだ・・・」とため息ばかり。
若い頃は一人でも平気だった水木だが、「歳をとるとこんなにも夫婦が一心同体になるものか」と皆驚いた。
手術が成功して元気に帰宅した妻。水木の表情は穏やかになり、今度は「おかあちゃんを歩かせにゃいかん」とリハビリにも付き合う様子。
夫婦揃って元気に年を越せそうだ。
平成21年

ファーストフード
1月25日

年明け2日、早くもおせちに飽きた水木はテレビのCMに感化され、「ピザと鶏の唐揚げが食べたい」とリクエスト。
「こんなまさげな(うまそうな)もんはどこに売っちょーだ?銀座か?」
「調布にもあるよ」 「それじゃ今買ってこい!」
そして、2日と3日の2日間でドミノピザとケンタッキーフライドチキンの両方を楽しんだ。
さらに先日、次女・悦子と徒歩で会社へ向かう途中、「フライドチキンとハンバーガーとピザのうち一番好きな物は何か」と次女が尋ねると、足を止めて暫く真剣に考え…
「どれも食べたいけれども今はハンバーガーの気分だね」
そのあと、「お父ちゃん腹が減っとるわけだけども、ハンバーガーを食したい気分なの」
・・・ということで、下の写真は会社でおいしそうにベーコンレタスバーガーを食べる水木。
ちなみにドリンクはレモンティでした。

88歳の誕生日
3月25日

3月8日、水木は88歳の誕生日を迎えた。この日は境港での水木夫婦像除幕式だ。昨年の誕生日も、水木しげるの顕彰像の除幕式で境港に行ったが、今年は報道関係の方々で昨年以上の賑わいだった。やはりNHKドラマ「ゲゲゲの女房」の影響? 妻、布枝が一緒だと水木はにこやか。笑顔で写真に収まった。
式典が終わった後は水木しげる記念館に立ち寄り、壁に落書き。もうこの落書きは恒例だ。今回の鬼太郎も可愛く描けた^^

夫婦ブロンズ像の横で二人にっこり

昨年末、米子空港に出来た鬼太郎ブロンズ像の前で

「水木しげる記念館」受付横の壁に 落書き

水木が好きな草花
4月24日

水木は野に咲く草花が好きだ。
出勤途中に目に入った草花をよく摘んで来る。
秋には枯れ草や枯れ葉を拾ってくることもある。
水木プロのテーブルには地味だけれど可愛らしい花が乗っている。

今日摘んできた野草

「ゲゲゲの女房」が来春NHK朝ドラマに!
4月24日

「お母ちゃんはこれからおちおち道を歩けんぞぉ!」新聞を見て大喜びの水木。
「おしゃれして歩かないといけんわね・・・」と言いつつも今までマスコミの表に出ることがあまりなかった布枝は喜び半分、戸惑い半分だ。
本が出ただけでも驚きだったのに、朝ドラになるなんて・・・。
とはいえ、一同大喜びである。まだキャストも脚本も決まっていないが、皆様どうぞお楽しみに!

「ストトンゴーン コブ」
6月10日

これは水木プロ内、流しの上にある棚の扉。
お茶の時間に食べるお菓子をたくさん詰め込んでいるため、
開けると同時になだれが起きることもしばしば。
スタッフが書いた「落下物に注意 !!」の横に、
いつの日からか水木のメッセージが。。。
拡大→

水木が鬼太郎に変身!
6月17日

鬼太郎グッズを並べるのが好きな水木。
水木プロ内は、応接間も水木の部屋も仕事部屋も鬼太郎グッズであふれている。
この日の水木は鬼太郎の「なりきりウェア」のサンプルを自ら試着して、その着心地を確認。
仕事部屋のイスにどっかりと座り、頭に目玉おやじを乗せウィンクまでしているところを見ると、
鬼太郎ウェアの着心地も悪くはなさそうだ。

水木の夏休み
9月3日

今年の夏休みは隠岐(西ノ島)へ出かけた。先日お目見えしたばかりの焼火権現のブロンズ像にあいさつ。後から孫も合流し、家族水入らずの休日を過ごした。 道中の米子では、50年前に結婚式を挙げたお屋敷(元料亭)の前を通り記念撮影。約半年ぶりの山陰の空気に、十分に英気を養うことができ、良い夏休みとなった。

西ノ島の焼火権現のブロンズ像

西ノ島の国賀海岸を眺める水木夫妻

結婚式を挙げた屋敷(米子)の前で

再び遠野へ
10月14日

9月、水木はテレビの仕事で再び遠野に出掛けた。昨年に引き続き「遠野まつり」を見て獅子踊りに大興奮・・・となるところだったが今年は寒くて夜は早々にホテルに引き上げた。  翌日はデンデラ野やオクナイサマを見、それぞれの場所で土地の人たちと言葉を交わした。昨年より寒かったのが少々堪えたようだが、やはり水木はこういった土地に来ると元気が出てくるようだ。

獅子踊りを激写!

デンデラ野で

オクナイサマの帽子を拝借

今年もありがとうございました
12月25日

11月27日「水木しげる画業60周年を祝い皆様に感謝する会」を水木プロ主催でおこなった。
お世話になった方々や親戚を招いて、荒俣さん、京極さんに司会をお願いしてのパーティ。
水木は懐かしい皆様にお会いしてたくさん元気を頂いた。
同じく11月には、NHK朝ドラの「ゲゲゲの女房」がクランクインし、向井理さんが漫画指導を受けに来られたり、
深大寺での撮影に布枝が駆けつけたりと忙しい日々を過ごした。
いろいろあったこの1年。水木夫妻は元気に年を越せそうだ。

京極さんデザインのはっぴを着て

悦子からの花束贈呈。このあと水木は「苦労したからネ」と妻・布枝に花束を渡し、会場には感動が・・・

平成22年

ドラマの開始とともに・・・
6月7日

NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」とともに始まった平成22年度。水木はほぼ毎日お昼の回を、会社のテレビの一番前で鑑賞!
時期を同じくして、水木特集を組んでくださる雑誌も多く、水木は「こら一体どうしたことだ!」と大喜び。
妻・布枝は雑誌取材にとどまらず、NHKのクイズ番組に出演することも。布枝には時にプロのメークさんが付いてくださる事もある。
「お母ちゃん、きれいになったよ」という次女・悦子に水木は、「おかあちゃんは、ずっと前からきれいだよ。」とのろけ!? 
布枝は照れながら「こんなにきれいにしていただいて本当にありがとうございます」といつもメークさんに感謝。
5月には、「ゲゲゲの女房」の映画試写会があり、水木は最後まで真剣に鑑賞。公開は秋の予定!
最近では、調布の町中でもお声をかけていただくことが多くなり、嬉しい反面、これまでと違う毎日に戸惑いも隠せない様子の水木夫妻・・・。
高齢なので、そっと遠くから見守っていただけるとありがたいです。

自宅にて:ドラマの台本に目を通す水木夫妻

80ページ水木特集の「Pen」をすみずみまで眺める

女性ものウィッグを拝借しておどける水木

9月15日

この夏は例年にない暑さだった。しかし、水木夫妻に夏バテは許されなかった。
お陰様でNHK「ゲゲゲの女房」が好評で、もうすぐドラマも終わりなのにインタビュー取材などのご依頼が止まないのだ。
高齢の水木夫妻なので多くをお受けすることが出来ないことは残念なのだが・・・。
またこの夏は、ドラマ以外にも全国各地で水木しげるの関連展がひらかれ、多くの方々に水木の世界を楽しんでいただくことができた。

「今年はどうも水木サンブームのようだね?」と水木。
「そうよ!おとうちゃん。ありがたいわねぇホントに・・・」と布枝。
「88歳になってブームとはねぇ。・・・安気にしておられんがナ」となぜか眉間にしわを寄せる水木。
水木の人生設計では
「この年齢では仕事の依頼もなくのんびり余生を過ごすことになるはず」だったらしい。
人生設計が狂ったのは水木にとって「幸」だったのか・・・微妙なところのようだ。

安来駅にある夫婦のかきわりの前で。水木夫妻自身が顔を出す。

ゲゲゲ展に書きおろし 3枚「眠り第一」「健康第一」「仕事第一」

松屋銀座のゲゲゲ展を見学。「自分がかいた絵を見ても仕方がない!」といいながらも楽しんでいた。

「ゲゲゲの女房」ドラマ打ち上げパーティにて。水木夫妻のあいさつ。

文化功労者顕彰
11月15日

このたび、水木しげるは文化功労者となりました!
11月4日は、その顕彰式!水木夫妻は顕彰式が行われたホテルオークラへ。感想を聞かれて「大変ウレシイですね!でも88歳にもなると少しくらいのことでは驚かんね」とコメント。
妻に「少しなんて!文化功労者は大変なことなのよ」とたしなめられていた。

そのあと、水木は皇居へ。天皇陛下主催のお茶会のお招きを受けたのだ。
天皇皇后両陛下、皇太子様と同じテーブルを囲みリラックスしてお話させていただいたらしい。
皇后様は「朝のドラマ、拝見しておりました。奥様お元気ですか?」とおっしゃったそうだ。
また、皇太子様には妖怪の話を。「電気が妖怪を消したんです!」と水木の持論を展開。
そして天皇陛下に、水木は自らの戦争体験を語ったという。
「ラバウルでは前線の前線のそのまた前線。最前線に行かされました。9人中、私一人だけが生き残ったんです。みんな死にました・・・」と。
天皇陛下の質問にも丁寧に答えたという。

水木は、数年前に旭日小授章をいただいたときにも
「戦争で死んだ人間が一番かわいそうだ。彼らが勲章をもらうならわかるが、戦争から無事に帰ってきて幸せに暮らしている者が勲章をもらうなんてどうかと思うよ」と感想を述べていた。

天皇陛下の名の下に出征し、自らの左腕と多くの戦友を失った水木。
昭和天皇ではないにしろ、このたび天皇陛下に直接戦争の話が出来たことには特別な意味があったと思うが、後から感想を聞くといつものひょうひょうとした水木節。
「感想・・・まぁ特にはないネ。天皇は頭がいいナ」と一言。

ホテルオークラでの顕彰式にて

皇居にて

ゲゲゲの年
12月27日

今年は「ゲゲゲの女房」ドラマのヒットや「ゲゲゲの~」が流行語大賞になるなど、水木しげる夫妻がたいへん注目された年だった。
妻、布枝は昨年まで普通の主婦だった。「ゲゲゲの女房」を出版したからといって取り立ててどうこう、ということもなかった。
いつも水木の一歩後ろに控えていて自分が前面に出ることなど考えたことすらなかったという。
それが一躍「時の人」となり・・・。
流行語大賞授賞式ではたいへんな緊張。そして年末最後の大仕事、紅白歌合戦の審査員という大役が控えている。
水木は「おかあちゃんは紅白の歌、全部知っとるのか?知らんで審査員なんかできるのか?」と心配顔。
布枝も一生に一度の晴れ舞台に「何を着ていくか・・・」「長丁場に耐えられるか・・・」と気もそぞろ。
まぁなんとかなるでしょう。

このところめっきり寒くなった。自宅の窓ガラスが曇っていたので、水木は指で落書き。
お祝いにいただいた胡蝶蘭に目玉おやじが乗っている♪

流行語大賞の控え室にて授賞式が終わり一息

自宅の窓

今年は皆様にたいへんお世話になり、ありがとうございました。
来年は水木夫妻にもう少しのんびり過ごしてもらいたいと思っています。
水木夫妻の自宅や自宅周辺へのファンの方の来訪は固くお断りいたします。
このところ二人は対応にかなり疲れており、これでは寿命を縮めかねないと心配しております。
二人とも高齢ですので何とぞご理解下さいませ。
平成23年

GEGEGE鬼太郎の妖怪楽園(台湾)
2月9日

1月19日から、水木しげる初めての海外企画展が開かれている。
主催は台湾の大手新聞社、聯合報。文化事業を数多く手がけている。
この新聞社から「台湾の人が見たことのないものを作って欲しい」との要請を受け、
水木プロと企画会社が話し合いを重ねてこの企画展が出来上がった。
いわゆる「原画展」ではなく、日本の妖怪の世界を体感してもらう展示だ。
オープニング当日。開場前に300人以上の行列が!そして会場は人また人!
この企画展は写真撮影フリーなので、妖怪のジオラマだけでなく、説明パネルの前でも記念写真を撮る人たちが。
皆が無邪気に喜んでているさまは、日本で行う企画展とは全く違う様子だった。台湾の人、ノリがいい!
そんな様子を見ているうちに・・・私、「竹切り狸」は涙が・・・
水木の作品をこんなにも皆さんが喜んでくれている。文化の違う台湾の地で。
主催の聯合報のかたも、台湾の施工業者のかたも、本当に一生懸命、私たちが表現して欲しい水木の世界をくみとり、ここ台湾で表してくれた。
そんなみんなのがんばりがこの展覧会の成功を導いているような気がして・・・あ、また涙が・・・。

この展覧会は4月29日まで行われています。春休みの旅行はどうぞ台湾に♪

チケット売り場

開場前に長蛇の列が・・・

キャラクターの中で写真が撮れる!

水木しげる記念館10周年リニューアル
3月12日

境港の「水木しげる記念館」が3月8日、オープンから10周年を迎えた。
これを機に館内をリニューアル。新しい見どころ満載の水木も大喜びの仕上がりとなった。
20体の妖怪が妖怪屋敷の中に隠れている「妖怪ジオラマ」や
家庭人としての水木の様子がかいま見れる「ゲゲゲの食卓」コーナー、
またおすすめの水木マンガを手で開くパネルで紹介する「水木しげる漫画ワールド」もある。
またオープン前日には、記念館壁面に水木自身が油性ペンでで河童の三平とカン平を描いた。
他にも新しくなったところはまだまだある。新しくなった記念館に是非皆様、足をお運び下さい!
この日は水木の90歳の誕生日でもあり、記念館のセレモニーでは特大ケーキのろうそくを水木夫妻が吹き消すパフォーマンスも。
たくさんのファンの皆さんや報道陣に圧倒されながらも、お祝いムードいっぱいの暖かな春の一日だった。

新たに描いた河童の三平

お祝いのケーキをぺろりと試食

89歳の始まりは大震災
5月10日

今年度初の近況です。
3月8日、水木は89歳の誕生日を迎えた。自宅で家族に囲まれてお祝いし、平和に幸せに過ごした水木。
しかしその3日後・・・東日本大震災が日本を襲った。
その日水木は水木プロにいた。
地震が起こったとき、水木は本棚の横に座っていたので近くにいたスタッフが慌てて持っていた膝掛けを
水木の頭に当てたのだが、水木の頭には本は落ちてこず、ホッと胸をなで下ろした。

3月8日、自宅でささやかに誕生日を祝った

震災当日は水木プロからも帰宅難民が。水木を含めみんなでレトルトカレーの夕食。

ゴールデンウィークは自宅でのんびり過ごした水木。
妻の布枝は島根から来てくれた妹と、自宅の小さな庭に畑を作って大満足。
セロリやすいか、なす、きゅうりなどなど・・・。
ゴーヤの緑のカーテンも、うまく育てば夏場の節電に役立ってくれそうだ。

ツモロー
5月19日

「アパレルのメーカーさんがTシャツのデザインチェックに来られた。いただいたお土産の箱を開けるとドーナツが入っていた。
悦子「お父ちゃん、ドーナツだね」
水木「うん、ツモローだね!」
悦子「・・・?!」
2秒後。 それがtomorrowだとわかり、一同大爆笑。
頂いたのが夕方だったので、明日食べよう、というわけだ。
妻の布枝が友達と英会話教室に通っていて、時々自宅でも英語が飛び出すのでその影響のようだ(笑)
この日はご機嫌の水木。 いつもは担当者任せにするメーカーさんとの打ち合わせにも顔を出し、
「この頃は少し水木サンのブームのなのかな?今日もようけ(たくさん)お客さ んが来とった。
・・・(Tシャツを見て)はっきりした色だと子ども向けになるから淡い色の方がいいようだね」 などと和やかにコメント。
水木が元気だと、皆ハッピー。 メーカーさんも喜んで帰って行かれた。

翌日、いただいたドーナツを前ににっこり

けうけげん
6月14日

先週末、水木は悦子と一緒に自宅から歩いて会社へ。
パチンコ屋さんの前を通りかかると、最近出たパチンコ「CRゲゲゲの鬼太郎」の宣伝のために、いろいろな妖怪を壁面に貼って名前の紹介をしていた。
一組の親子連れがその前に立ち止まり、ほほえましい親子の会話。
「おかーさん、この妖怪は?」「これはぬらりひょんよ」「これは?」「これは座敷わらし」
「じゃこれは?」
「・・・これは・・・何かしら。おかーさんも読めないわ」
そこにちょうど居合わせた水木が静かに言った。
「けうけげん、ですよ」
「あ、そうですか。ありがとうございます!(振り向いて)・・・えぇっ!み、水木先生!!!きゃー!!」
その後はもう大変な騒ぎ。
水木は滅多にファンサービスをしない。このおかあさんとお子さん、とってもラッキーだったね。

毛羽毛現(けうけげん)

東宝の舞台「ゲゲゲの女房」
9月29日

東宝の舞台「ゲゲゲの女房」(9月29日)
舞台「ゲゲゲの女房」は9月23日の境港公演を皮切りに、今週までシアタークリエで上演中だ。
布枝は境港公演に先駆けてのプロモーションに日帰りで境港に出かけたり、東京での稽古を見に行ったりと
楽しく協力させていただいている。
9月29日のシアタークリエ初日には、水木夫妻が揃って出掛けた。
普段あまりお芝居を観る機会の少ない夫妻は、今回の迫力ある生の演技に大喜びだった。
「きっとこの舞台、成功すると思うわ!」と力強い布枝の弁。
11月9日まで全国を巡演する

名誉都民
10月3日

10月3日、水木は東京都庁で行われる「名誉都民顕彰式」に出掛けた。
顕彰式では石原都知事の前で謝辞を述べなければならないところ、
「・・・何をしゃべったらいいんですか?」
水木節炸裂で会場は沸いた。
その後、京王プラザホテルで都知事、副知事、都議会議長、教育長らと共に昼食。
その時は水木もリラックスして都知事と和んで話が弾んだ。

名誉都民顕彰式

式後、石原都知事と楽しく語らい

秋の園遊会
10月25日

10日13日の秋の園遊会に、水木夫妻も招かれました。以下は、その時付き添った「竹切り狸」のリポートです。

水木夫妻にはなんと!なでしこジャパンの澤選手、大相撲の魁皇と並んで、天皇陛下と直接お話しできるポジションを宮内庁の方がご用意下さっていました!
たくさんの報道陣に圧倒されながらも、水木はリラックスして天皇陛下、皇后陛下、皇太子様、秋篠宮様、紀子様とお話。
天皇陛下は、澤選手、魁皇、水木、の順に話をされましたが、陛下は水木のところに特に長く留まってお話をして下さいました。
皇后様、皇太子様は天皇陛下と間を開けて進まれていましたが、水木のところで全員が詰まってしまったほど。

ここは陛下がお通りになる道筋

天皇陛下はまず「昨年もお会いしましたね」とおっしゃいました。。
実は昨年の文化功労者顕彰の際、水木は皇居での会食に招かれていたのです。
妖怪の話をした後、陛下は、「戦争のあとはいかがですか」と戦争で失った水木の左腕を気遣って下さり、さらに
「ラバウルにいらっしゃったんですよね、ニューブリテンの」とおっしゃいました。
水木がいた戦地のことまでご存知なんて、「竹切り狸」は感激で涙が出そうでした。

皇后様も「またお目にかかれました。お元気ですか」とおっしゃり、水木は「妖怪に生かされてます」と切り返し。
「奥様も長い間お支えになられて・・・」と妻、布枝へも気遣いのお言葉。

皇太子様も「去年お話ししたこと、憶えていますよ。電気が妖怪を消したんですよね」とおっしゃり、
「境港は大変な賑わいですね。私も行きましたよ。松江も、米子も出雲も。大山にも登りました」とお話下さり、
水木夫妻はひたすらびっくり。

秋篠宮様に水木は開口一番「アンタ・・・ヒゲが白い!」と言い、秋篠宮様はひげをなでながらリアクションに困っておられました(笑)
でも気を取り直して、「最近、『猫楠』を読みまして。大変面白かったです」とおっしゃり、またびっくり。
それぞれの宮様方と、妖怪について、ゲゲゲの女房について、家族についてなど多岐にわたってお話をしました。
宮様方も水木も本当に楽しそうで、とても良い時間でした。
そのあと、囲み取材があり「天皇陛下にお目にかかってご感想は」と聞かれた水木、
「天皇家は皆、お化け好きだね~、近くに来ただけで分かる」と失礼なことを言っておりましたが、
近くにいてお話を聞いていた「竹切り狸」は水木と同じ感想を持ちました。
宮様方みな、妖怪(水木を含む)には大変興味をお持ちのようです。間違いありません!

囲み取材の後は近くのテントの中で澤選手、佐々木監督、魁皇夫妻と一緒に軽食を頂いてお話をしました。
軽食は御料牧場の羊のジンギスカン、宮内庁特製たれ付き!やきとり、サンドウィッチ、のりまき(指くらいの細さ)、フルーツポンチなど。
フルーツポンチが出されたとき、「竹切り狸」の隣に座った澤選手が「わーい♪」と小さく喜んでいたのが可愛かったです。
佐々木監督が布枝に「自転車買ってもらったんですよね。ドラマ見てましたよ~。自転車買ってもらうシーンで感動しちゃって・・・」とおっしゃっていて、これも感激でした。
この時水木は、歯の調子が悪く、フルーツポンチしか食べられませんでした。かわいそうでした・・・
その後は赤坂御苑の中を案内していただき最後にきれいな菊の前で写真を撮り、赤坂御苑を後にしました。

少々疲れ気味の水木夫妻

古代出雲のお話
11月30日

水木は自身の出身地に近い出雲には、子どもの頃から畏敬の念と大きな関心を抱いてきた。
古事記や日本書紀、出雲風土記などを読むうち、
「このような神話は作られた話で真実はほかにある」と思うようになったそうだ。
漫画家として多忙を極めていた40代の頃から、水木の枕元に古代出雲の青年が現れ、頭をノックするようになったという。
「事実を描いて欲しい。自分たちの無念を晴らして欲しい」と。
このことは当時の水木のエッセイやインタビューにたびたび出てくるので、当時かなり気にしていたようだ。
「いつか古代出雲のことをマンガにしよう」と思っていた水木だが、描く機会のないまま時が過ぎてしまった。

来年は「古事記編纂1300年」にあたる年なのだという。島根県ではこれにちなみ、いろいろな行事を行うそうだ。
そこで来年、満を持して水木の出雲神話が本になることになった。

今日はやる気モード!

オオクニヌシにペン入れ